【小説感想】虐殺器官(伊藤計劃)

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今回は伊藤計劃氏の小説「虐殺器官」を読みましたのでその感想を書きたいと思います。

内容はネタバレを含みますのでご注意下さい。

非常に綺麗にまとまった物語

まずかなりドギツイ「虐殺」という言葉が使われている本作は様々な小説の中でもかなり目につく類の物と思われます。

そして普通は単体で用いられるその「虐殺」という単語に更に「器官」という言葉がくっついてタイトルになっており、表紙を見ただけではこれが一体どんな何の小説なのか殆ど想像できないでしょう。

そんな本作の内容は、サラエボがテロリストのお手製の核爆弾によって消滅した出来事をきっかけに、対テロの名の下に汎ゆる行動に認証が必要になった管理社会と、そんな社会を構築できる程に科学技術が発達した近未来的な世界の中で、米軍大尉である主人公クラヴィス・シェパードが、後進国で急激に多発し始めている内戦や虐殺の黒幕とされている謎の男ジョン・ポールを止めようとする、と言う物です。

本作は単なる勧善懲悪的な、テロリストを倒して世界が平和になった、という物ではなく、管理社会が持つ歪さや、その平和の裏側で犠牲になっている物や、母の延命治療を中止した主人公の個人的な過去の悩みといった、内面的、社会学的、哲学的な要素についての記述が多分に含まれた作品で、下手をすると説教臭くなったり、話が本筋とはどこか別の所に飛んでいってしまうそういった類の話を、戦闘の描写も含めて全396ページにみっちりと、それでいてとても綺麗にまとまっているのが素晴らしかったです。

文法によって人工的に引き起こされる虐殺

個人的にSF作品の完成度は、作品の重要な部分にどれだけ自然で意味のある理由付けを行うのかで決まってくると思っているのですが、本作はそれに「文法」という中々に独特な部分を用いていた事にも斬新さを覚えました。

この本作の世界では、文法の中には虐殺が出来る環境を生み出させやすい、虐殺を誘発させる事の出来る言い回しという物があるらしく、それらを効果的に社会に浸透させる事によって、人々はやがて虐殺を平然と行うようになってしまうという、一種の催眠術的な事が可能になっています。

そしてそれが可能になる背景には、元から人間の中には食物を消化したり老廃物を排泄する為の腎臓や腸と同じ様に、虐殺を行う為の「器官」が存在しているからという事になっております。

こういった特性が人体の生存に必要な「器官」と表現されているのは、仮に集団の中において資源が非常に限られた状態になった際に、それでも人々が生き残る為に集団の人口を減らす時にこの機能が使われる為である、と作中では説明されています。

人間が生存のために持たざるを得なかったこの器官のセキュリティホールを利用して、虐殺の文法によって人間をハッキングすることで大惨事を引き起こしているというのは、物語を読んでいく過程でこの黒幕は一体どうやって様々な国家の人々に虐殺行為を起こさせているのか?と非常に気になっているであろう読者の腑に落ちる理由付けが出来ていると個人的には感じました。

勿論この種明かしのみが唐突に出てくるのではなく、これより前に「言葉」の持つ力や、人間の進化や良心や罪や自由の話などの記述を経て来ているからこそ、この理由付けが出てきた時にも荒唐無稽な物には思えない下地が出来上がっているのだと思います。

上記で私は本作はとても綺麗にまとまっていると書きましたが、そう思う理由にはこうした伏線や背景を丁寧に描写する高い技術を、本作の作者が持っていた為なのだと思います。

平和を守るためという動機

この大規模な虐殺は実はアメリカに反逆しそうな、アメリカのせいで貧しくなっている様な国々に紛争を起こさせて、国外であるアメリカの事など考えられないようにする為のテロ対策であった事が後半になって明かされますが、その少し前にヴィクトリア湖の話が行われていたのが印象的でした。

この作品の世界のヴィクトリア湖は、主人公たち先進国の軍隊が使用する高度技術を用いた装備になどの素材である人工筋肉を輸出している場所となっており、そこには人工筋肉に加工する前の人工的に遺伝子を操作されたイルカやクジラ達の住処となっています。

そしてそんな事は先進国の住民はほぼ誰も知らず、その恩恵を受けている当の本人である軍人の主人公でさえも別の人間から言われて初めてそれを知ることになります。

このヴィクトリア湖と先進国の関係は、先進国のテロ防止という利益の為に、黒幕の虐殺の文法によって大きな被害を受けている作中の国々のメタファーであるように感じました。

作中では上記の人工筋肉の下りなどで「人は見たいものしか見ない」というローマの政治家であったユリウス・カエサルの有名な言葉で主人公たち先進国の人々の無知が表現されるのですが、その特性を嘆くのではなく逆に利用して、先進国の人々が誰も興味も持たないような国々で紛争を起こす事で、よりお互いが目に入らない様に、先進国でテロが起きない様にしたのがこの作品の黒幕でした。

他にもこの作品には多くの人々が自分の正義や平和を守るために戦っています。

この黒幕だけでなく、その行動を裏で隠れて支援していたアメリカの上院議員や、家族を守るためにあえて歪な管理社会と対テロの在り方を肯定する主人公の同僚や、管理社会に反発する人々など、作中で描かれる様々な考えを持つ人々を通して、異なる正義の形についても考えさせられる作品であったと思います。

そしてそんな中で終盤まで自分自身の正義を見出す事が出来ず、自らの意思で行動出来ないことに苦悩し続ける主人公の変化や葛藤がとても優れた文章力で表現され、非常に引き込まれる物がありました。

終盤の勢いとその突飛な、作中の様々な登場人物たちの正義の様に独善的、或いは因果応報的な主人公の判断とその結末は、この作品のラストシーンにこれ以上無い物の様に感じました。

とにかく話の流れと展開のテンポが良くて、後半に掛けてどんどん引き込まれていく作品ですので、まだ読んだことの無い方には是非読んでもらいたいと思える一冊でした。

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